野口遵の経歴!旭化成創業者の実績/現在/驚きの資産額の行方とは

野口遵の経歴

野口遵さんは、旭化成株式会社の創業者です。

旭化成の前身となる日窒コンツェルンを一代で築いた実績もあり、現在の積水化学工業や積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもあります。
日本で初めて特許をビジネスに活用した人物としても有名です。

今回は「朝鮮半島の事業王」・「化学工業の父」とも呼ばれている野口遵さんの偉業や経歴、資産などをご紹介します。

野口遵のプロフィール

野口遵とは?経歴・実績・年収・現在まとめ
  • 本名:野口 遵(のぐち したがう)
  • 出身地:石川県金沢市
  • 生年月日:1873年7月26日
  • 学歴:現・東京大学工学部電気工学科
  • 趣味:不明
  • SNS:無

野口遵の経歴

1873年に石川県金沢市にて長男として誕生し、父は加賀藩士でした。裕福とはいえない環境で育ちましたが、持ち前の利発性でやんちゃな少年でした。

石川県金沢市出身の野口遵さんですが、幼い頃に母と共に東京へ上京しています。
東京の小・中・高を卒業し、大学は東京帝国工科大学電気科(現・東京大学)へ入学し、優秀な成績にて卒業をしました。

1896年に同級生がエリートコースを歩む中、新しいエネルギー創造に興味が湧いていた野口遵さんは福島県にある郡山電燈へ入社し、発電所の建設や江之島電鉄の設立計画などに関わり電気技術の新知識を吸収しながら化学工業への興味を深めていきました。

その後、ドイツのテクノロジー企業であるシーメンス東京支社へと入社しています。
そこで、長野県 安曇野電気の電源開発・江ノ島電鉄の設立計画など経験しながら電気技術の新知識を吸収していきました。

1903年に野口遵さんの原点ともなるカーバイド製造事業を始め、1906年に『曾木電気』を設立し鹿児島県大口市に曽木水力発電所を開きます。

1907年『日本カーバイド商会』を設立した後に1908年、『曾木電気』と『日本カーバイド商会』を合併し『日本窒素肥料』を設立して石灰窒素・硫安の製造を開始しました。

1921年にイタリアのカザレー博士により開発されたアンモニア合成の特許(カザレー法)を購入し宮崎県延岡市に工場を建て、世界初のカザレー法アンモニア合成の製造を開始します。

1924年に野口遵さんは朝鮮への進出を決め、北朝鮮赴戦江・長津江・虚川江で水力発電所の建設を行います。現在のロッテホテルも1932年に野口遵さんが『半月ホテル』として韓国・明洞に開いたものです。

1929年にドイツ ベンベルク人絹の特許を購入し『日本ベンベルク絹絲』を設立し、これが後に旭化成株式会社の原点となります。

1942年に野口遵さんのこれまでの功績が認められ、勲一等瑞宝章(日本の勲章の一つ)が授与されました。

野口遵の実績・偉業

野口遵さんは非常に多くの技術を日本へ運んだ人物です。
以下にて、野口さんの偉業についてご紹介します。

日本初・カーバイド製造に成功する

大学時代の後輩である藤山常一さんが発電所の余剰電力を利用してカーバイド製造を行う計画を立て、シーメンス時代にカーバイドの研究をしていた野口遵さんへ技術指導を依頼しました。

そして宮城紡績電燈常務と共に三居沢カーバイド製造所を設立し、日本初のカーバイド製造に成功しました。同時期にドイツの化学者2名により開発された『フランク・カロー法』と呼ばれるカーバイド製造が注目され、三井財閥・古河財閥をライバルとする中、見事獲得競争に勝利します。

1908年にこの特許を使用してカーバイド製造を行う工場を熊本県水俣に建設しました。

朝鮮に進出し水力発電所を開拓

1924年に野口遵さんは朝鮮半島(現 韓国・北朝鮮)への進出を果たします。
朝鮮半島への進出理由はもっと安くて豊富な電気が欲しいという理由でした。
当時、国内では硫安生産が追い付かず、大規模な硫安の増産が求められていたため朝鮮半島への電力開発事業進出を決めました。

1926年朝鮮水電株式会社を設立し赴戦江(ブジョン)を開拓、その後も興南(フンナム)・長津江(チャンジン)・鴨緑江(アムノック)などの開拓により、朝鮮半島開拓は大成功を収めて野口遵さんの実業家としての実力を発揮したのです。

日窒コンツェルンを築き上げる

朝鮮半島で水力発電所を次々と建築していった野口遵さんは、政商として多彩な事業展開も行い昭和10年頃には日窒コンツェルンを築き上げていて、野口さんは『朝鮮半島の事業王』として称されるようになっていました。

昭和20年(1945年)の第二次世界大戦の敗戦により日窒コンツェルンは実質的に瓦解したが、現在もチッソ(JNC)や旭化成・積水ハウス・信越化学工業・積水化学工業など各企業に分かれて野口遵さんの意思が継がれ、これらの企業の創業者は野口遵さんとなっています。

野口遵の現在

野口遵さんは1944年1月15日 享年72歳で生涯を終えています。

しかし、野口遵さんの意志は今も受け継がれており『公益財団法人 野口研究所』にて化学工業に関する研究や人材育成が行われているのです。

1940年に脳溢血で倒れ、病床に伏せていたとき側近に自分の全財産を確認し全てを寄付しました。当時、全財産3,000万円(現:約300億円)の内2,500万円で化学工業の研究などを行う野口研究所を設立、500万円は朝鮮奨学金に寄付しています。

今でも自分の財産を全て寄付したという偉人は野口遵さんだけではないかと言われているほど、大胆な決断をされていたようです。

野口遵の推定年収・資産

野口遵さんの資産は昭和18年~19年頃の時点で3,000万円とされています。
これは当時の価値であり、現在の価値に換算すると約300億円です。

年収についての情報は見つかりませんでしたが、日窒コンツェルンの創業年数で計算すると最低でも約800万円(現価値:8000万円)であったことが推測できます。

野口遵の家族・恋愛・結婚情報

野口遵さんは山野千賀さんという女性と結婚して、二男一女3人のお子さんが生まれました。

長男である野口寛さんは1909年生まれなので、結婚した時期は1900年前後ころと予想されます。
現在、長男の野口寛さんは、野口研究所の理事長を務めています。

旭化成株式会社とは

旭化成株式会社とは「化学」「繊維」「住宅」「建材」「エレクトロニクス」「医薬品」「医療」など、幅広い事業を展開している総合化学メーカーです。

戦後、日本の敗戦に伴った財閥解体によって日窒コンツェルンとの資本関係が絶たれたことをきっかけに誕生した企業で、日窒化学工業が改名をして旭化成株式会社が誕生しました。

本社は東京都千代田区有楽町に所在し、約100年の歴史をもつ旭化成は主に日本の化学・繊維業界を常にけん引していて、化学の分野では国内3位の規模となります。
日本だけでなく海外進出を果たし、北米・アジア・ヨーロッパなどの30ヵ国以上に拠点を置く大手グローバル企業でもあります。

旭化成株式会社の歴史

旭化成は最初『日本窒素肥料株式会社』で、合成アンモニアの製造を行っていました。
同じ時期に『旭絹織株式会社』にて化学繊維事業も始まります。当時はまだまだ着物文化が根付いていた日本で絹の特徴をつかんだ人工繊維を安く提供するためにドイツよりレーヨン素材の製造技術を持ち帰り、琵琶湖湖畔にて工場を設立しました。

その後、再生繊維ベンベルグの技術も導入して工場を設立して生産を開始します。この工場については世界最大の生産量を生み出し創業者である野口遵さんは社会に役立つためのものづくりを広めるために海外から更なる技術や特許を導入して自分たちの生産技術を確立していったのです。

1990年には連結売上高で日本の化学会社のトップとなりましたが、直後に日本経済のバブル崩壊に伴って景気が低迷し、路線の見直しが行われます。
しかし、同時にエレクトロニクスやバイオテクノロジー膜技術などの独自製品開発も成功し始め、これらが重要柱となり旭化成の新しい成長を支えることとなりました。
そして積極的な海外進出も行い欧米・ASEAN・中国の進出や提携・買収により事業拡大を成功させていきます。

2001年に現在の旭化成株式会社へと社名を変更し、旭化成グループとして現在幅広いフィールドで社会貢献を行っています。

旭化成株式会社の事業内容

旭化成株式会社は幅広い事業展開を行っているため、扱っている製品や開発した技術も数えきれないほどです。

今回は旭化成のHPに沿って4つに分け、以下にて事業紹介をします。

マテリアル領域事業

マテリアル領域とは、環境に配慮し付加価値の高い製品や素材を開発し提供している事業です。

旭化成で開発された製品や素材は自動車や家電、農業や建築、ヘルスケアなど幅広い用途に使われいます。

例えば、知名度のある食品個包装ラップフィルム「サランラップ」は旭化成のマテリアル領域事業で開発された製品で、一般的なポリエチレンやポリ塩化ビニル製ラップに比べると耐熱性や密着性などの力が非常に強い製品となっています。

住宅領域事業

旭化成では住宅関連製品も力をいれていて、代表格はハウスメーカーの『へーベルハウス』です。
その他にも集合住宅の『へーベルメゾン』、優良中古住宅の『ストックヘーベルハウス』、分譲マンション『アトラス』なども旭化成グループが行っています。

化学や繊維の研究開発の経験を活かし、建材である外壁や断熱材、床なども優れた製品を提供しています。

外壁で使用している『ヘーベルパワーボード』という製品は、1920年にスウェーデンで開発された『ALC(軽量気泡コンクリート)』北極圏から砂漠地帯まで使用されている耐久性のある外壁資材で、100年の歴史があり世界的に承認されています。
一般的なサイディングと比較しても2倍以上の厚さがあり、圧倒的な耐火性能が実証されています。

ヘルスケア領域事業

ヘルスケア領域でも幅広く製品を扱っています。
旭化成では骨粗しょう症治療薬や関節リウマチ治療薬、免疫抑制剤などの医療用医薬品をはじめ、血液透析分野の機器にウィルス除去フィルター『プラノバ』などを製品として扱い医療現場を支えています。

また、生命の危機状態となっている重篤患者に向けたクリティカルケア製品として、街でも見かけるAEDや除細動器、病院連携ネットワーク事業なども旭化成では提供しています。

その他事業

上記の事業以外でも旭化成では『音声認識技術 VORERO』を用いて車載機器・携帯機器・家電機器などに組み込める音声認識技術も提供しています。

また、深紫外LED(UVC LED)では250~280ナノメートルの紫外線を発光します。分析機器や水殺菌を使用する際に水銀ランプよりも環境にやさしく、生活のさまざまなシーンでの活用が可能です。

旭化成株式会社の売り上げ

旭化成株式会社の2021年連結決算は売上高21,061億円(前年比-2.1%)・営業利益1,718億円(前年比-3.1%)となっています。

事業ごとではマテリアル領域・住宅領域にて前年よりも減収という結果となりましたが、ヘルスケア事業では前期より+701億円という結果となり挽回することができたようです。

旭化成では2022年度の決算でマテリアル領域事業の業績回復が見込まれていて、売上高23,750億円・営業利益1,900億円と予想していることが発表されています。

旭化成株式会社の特徴・強み

旭化成は素材について非常に強い企業です。様々な素材を開発・製造し幅広い分野成功を収めています。

幅広い分野で展開を行っている企業メリットとして、事業ごとの助け合いが実現しています。
つまり、“どこかが売れなくても、他で売上高を支える仕組み”が旭化成株式会社では完成しているのです。

旭化成株式会社の評判・口コミ

旭化成で働く社員の口コミや評判を調査してみました。

旭化成株式会社は日本の典型的な企業であると感じている社員が目立っている印象で、年功序列といった傾向があるようですが、近年では人事制度は以前に比べると整ってきているという口コミもあります。
公募人事制度により、自主的な人事異動が可能なため希望次第では旭化成の特徴でもある多種多様な分野の知識を経験することもできます。

ワーク・ライフ・バランスは部署によって差があるようですが、こちらもここ数年で働き方のスタンスが変わりつつあるらしく、今現在働き方についても良い方向に変化が起きていると感じている社員も多いようです。

まとめ

以上、日窒コンツェルンを築き上げた野口遵さんについての紹介でした。

野口遵さんが特許の有用性に気付いたことで、今の特許ビジネスが生まれたといっても過言ではありません。

日窒コンツェルンは無くなってしまいましたが、今も子会社分裂により旭化成や積水ハウスなど、大手企業が野口さんの意思が引き継がれています。また、野口遵さんの顕彰は旭化成株式会社の宮崎県延岡市にある工場にて碑が建てられているそうです。

この記事を読んで、少しでも野口遵さんの偉業や実績などについて知識を深めることができれば幸いです。