渡邉美樹さんは一代でワタミグループを築き上げた人物です。そこには持ち前の手腕とともに独自の精神論がありました。
今回は、そんな渡邉美樹さんの経歴や、家族構成、世間からの評判などについて見ていきましょう。さらに、渡邉美樹さんが成功するに至った「真っ赤な手帳の存在」など逸話もご紹介します。
目次
渡邉美樹のプロフィール
- 名前:渡邉美樹
- 読み方:わたなべ みき
- 生年月日:1959年10月5日
- 出身地:神奈川県横浜市
- 身長・体重:182cm/68kg
- 血液型:A型
- 学歴:明治大学商学部卒業
- 職業:ワタミ株式会社代表取締役会長兼社長
渡邉美樹の経歴
渡邉美樹さんはどのような経歴を歩んできたのでしょうか。
生い立ち
渡邉美樹さんは比較的恵まれた家庭に育ったものの、母親の死や父親の会社清算で非常に貧しい生活に一変します。悔しさのあまり、小学校の卒業アルバムでは社長になると書いたほど。父を超える強い社長になりたいと決意したそうです。
リーダーシップを発揮しだした大学時代
高校卒業後は明治大学商学部に進学し、学生活動に熱心に取り組んでいました。
東京六大学連盟のボランティアサークル横浜会に属し、59代目幹事長として百何十人ものサークルメンバーをまとめあげるリーダーシップを発揮しています。
当時からのリーダーシップは、同じ志を持つ仲間を圧倒していたほどです。
また、大学の在学中から、起業するにはどうすれば良いかを常に考えていたそうです。当時の構想には、ソフトウェア開発事業か外食事業の2つを軸として考えていましたが、どちらにするか決めかねていました。
旅先で人生の転機が訪れる
自分の中でもうまくまとまらない将来への思いを見つけるため、大学4年生のときに北半球1周旅行という壮大な計画を実行に移します。
旅の途中で立ち寄ったニューヨークの飲食店。そこで性別や人種、思想が違うお客さんたちが楽しそうに食事をしている様子を見て、強い衝撃を受けたといいます。
この旅先での衝撃的な経験を経て、外食事業で起業することを決めました。
またキリスト教を信仰していたこともあり、その教えが後の渡邉美樹さんの人生や経営哲学の土台となっているといいます。
起業までの経緯が凄い!
渡邉美樹さんは大学卒業後に経理会社に入社します。この間、短期間で一生懸命勉強し、基本的な会計の知識を詰め込みました。
そして運送会社の宅配ドライバーとして勤務し、1年間で起業資金300万円を貯金します。
さらには高級クラブでボーイ見習い、居酒屋でバイトをしながら、料理店の厨房で働くことで外食産業の基本的な構造について学んでいきました。
起業に至るまでは泥臭くて苦労をされているといった印象があります。
こうした現場で自らの身体に叩き込んだ経験こそが、「ワタミ」の原動力となったことは間違いないでしょう。
渡邉美樹さんの経営スタイルについては厳しく非難される声もありますが、人に求めるだけでなく自らも行動してきたこともまた事実です。
渡邉美樹を成功に導いたのは真っ赤な手帳の存在?
渡邉美樹さんの座右の銘は「夢に日付を」だといいます。
これは、夢を憧れで終わらせないために、日付を設定する自己実現の方法です。夢を実現させるために日付を設定するということは、夢に有効期限を設定したとも言えます。日付を設定することで、目標を実現のための、行動はより具体的なものとなります。
22歳の時の手帳には、24歳で社長になると手帳に記載されています。
そして実際に実現させました。
同じく店頭公開や東証1部上場についても、最初に宣言した日付通り実現させているのはさすがの一言です。
多くの人が手帳を持っていると思いますが、スケジュール管理に役立てる人がほとんどでしょう。渡邉美樹さんも考え方は同じで、1秒たりとも無駄にしないように予定を立てるといいます。
また、カードサイズのメモを併用することで思いついたことをすぐさまメモに書くそうです。そして、重要と思われる内容は、手帳に転記して管理しています。手帳には、書き込んだスケジュールがギッシリです。
終わった予定は全て必ず赤ペンで消します。
赤くなった手帳はやり遂げた証として、しっかり手帳に残るのもまた、次回へのモチベーションにつながります。
やり残したことがあれば、手帳は白いままとなり、白い手帳は自らを戒める大事な資産です。
こうした発想こそが成功への秘訣なのかもしれません。
渡邉美樹は政界へ進出し政治家へと転身するも…
渡邉美樹さんには、政治家として公共へ貢献したいという気持ちを持っていたこともあり、2011年に東京都知事選挙に無所属で出馬します。しかし、結果は3位で落選しました。
その後、岩手県陸前高田市の参与や大阪府および大阪市の特別顧問を歴任します。
そして2013年に参議院選挙に出馬し、当選を果たしました。
この時、ワタミには1000%戻らないと公言したほどに強い決意で、政治家への転身を果たしています。
ところが渡邉美樹さんが経営を離れてからワタミは業績が悪化してしまいます。外食事業の不振もあり、2015年3月期には営業赤字となりました。そして、介護事業を売却、その後もワタミは減収に苦しみました。
結果、6年間の議員生活に終止符を打ちます。
2019年7月に自らの発言を撤回し、ワタミの取締役に戻ったのでした。
渡邉美樹の世間からの評判
渡邊美樹さんの経営理念などで批判を受けることが大きい人物です。
ワタミ=ブラック企業と揶揄されることや、従業員が過労死自殺するなどの事件もありました。
こうした影響で非常に世間からの印象が悪くなっているのも事実です。
経営理念や教育観は戦前の根性論からきているものなのかもしれません。
ワタミでは一般社会では通用しない独自の価値観によって、社員に押し付けられていたとも言われています。
渡邊美樹さんは有名になってからも、公的に厳しい経営理念を発言していることから、大きな実績を収めている一方で、ネガティブな印象も持たれるようになってしまいました。
それほどまでに社会的に影響力を持つ人物ということもうかがえます。
渡邉美樹の家族について
渡邉美樹さんは、プライベートな部分についての発信は少ないです。
渡邉美樹さんのフェイスブックでは、「私の妻は書道教室の先生なので」との投稿があります。妻の洋子さんは結婚後、ほとんど表舞台には出ていません。
長男の将也さんは、2020年1月にワタミの執行役員・海外外食事業本部長に就任しています。渡邉美樹さんの後継者となるのでしょうか。
次男の名前は烈士さんと判明していますが、企業経営に携わっていないといいます。
奥さんとの馴れ初め
奥さんとの出会いにこんなエピソードがありました。
渡邉美樹さんの経理会社での勤務時代、近所のレストランを訪れた際に妻となる洋子さんが働いていました。その時、渡邉美樹さんは、一目惚れして猛アタックをかけたそうです。
当時の洋子さんは既婚者だったため、交際に至りませんでしたが、1年後に夫と離婚して渡邉美樹さんと結婚しています。
渡邉美樹の現在の活動
渡邉美樹は現在、経営指南として「渡美塾」の塾長や「郁文館夢学園」の理事長兼校長という役職につきながら、教育者としても活動をしています。
後進の育成にも余念がありません。
活動内容についてはSNSなどでも伺えます。
興味がある人はぜひ覗いてみてください。
まとめ
渡邉美樹さんのこれまでの人生は波乱万丈です。挑戦や困難を乗り越えるための精神力は学ぶべきところが多いといえます。
主力業態であった「居酒屋 和民」は2022年に消滅するまで大きな成功を収めてきました。
多くのビジネスマンが渡邉美樹さんの投資戦略について、学ぶところが多いと口をそろえて言います。揺るぎない信念こそが、渡邉美樹さんの成功を支える原動力だったのかもしれません。