豊田章男さんはトヨタ自動車株式会社の代表取締役会長です。トヨタ自動車の社長を2009年から2023年の約14年間務め、2023年から同社会長に就任しています。
リーマンショックの影響によって、創業以来初の赤字に転落したトヨタ自動車を世界が誇る自動車メーカーに復活させたのは、豊田章男さんの力が大きいです。社長に就任以来、豊田章男さんは現場に立って「町いちばん」「もっといいクルマづくり」にこだわり続けてきました。
本記事では豊田章男さんについてリサーチします。これまでの学歴・経歴や家族、驚くべき伝説などをまとめていきますので、豊田章男さんが気になっている方はぜひお読みください。
目次
豊田章男のプロフィール
- 本名:豊田章男(とよだ あきお)
- 出身地:愛知県名古屋市
- 生年月日:1956年5月3日
- 年齢:68歳(2024年9月時点)
- 学歴:慶應義塾大学法学部法律学科卒業/バブソン大学経営大学院修了
- 趣味/特技:車・ホッケー
- 好きな食べ物:カレーライス
- 職業:トヨタ自動車代表取締役会長/トヨタ モーター ノース アメリカ取締役会長兼CEO/トヨタ不動産代表取締役会長/トヨタ・モビリティ基金理事長/ルーキーレーシング代表取締役/トヨタ・ガズー・レーシングチームオーナー兼会長
豊田章男さんは1956年5月3日、豊田章一郎・博子夫妻の長男として愛知県名古屋市に生まれました。トヨタ創業家の第4世代であり、トヨタグループ創始者の豊田佐吉さんのひ孫にあたります。
トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎さんは豊田章男さんの祖父で、1982年から1992年に社長を務めた豊田章一郎が父です。また、豊田章男さんの母親・博子さんは三井財閥一族の伊皿子家8代目・元三井銀行取締役である三井高長の三女であり、両親ともに良家であることが分かります。
豊田章男さんは2009年から14年間、トヨタ自動車の社長を務め、2023年からはトヨタ自動車の会長に就任。トヨタの変革をさらに進めるために、会長として新社長をサポートしています。
また実業家としての顔の他に、レーシングドライバーとしての一面もあり。クルマ好きとして「モリゾウ」を名乗って、モータースポーツなどに登場します。
豊田章男のすごい学歴と経歴
豊田章男さんはトヨタ自動車の創業一族に生まれたため、すごい学歴と経歴を持っています。
ここでは豊田章男さんの学歴と経歴をまとめます。
豊田章男の学歴
豊田章男さんの学歴は以下の通りです。
- 愛知教育大学附属名古屋小学校卒業
- 愛知教育大学附属名古屋中学校卒業
- 慶應義塾高等学校卒業
- 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
- バブソン大学経営大学院修了(MBA)
慶應義塾高等学校に在学中には、アメリカ・ハワイ州に渡り、プナホウ・スクールで学びました。また慶應義塾大学在学中には、ホッケー部に所属。大学1年生の時からレギュラーとして活躍し、ホッケー男子日本代表にも選出されるほどの腕前だったそうです。
大学4年生の時には、グランド・ホッケーの全日本選手としてアジア大会に出場。またモスクワオリンピックのホッケーチームの候補選手でしたが、日本がボイコットしてオリンピックに参加しなかったため、オリンピックは出場できませんでした。大学では法律学を専攻していたそうです。
豊田章男さんは大学卒業後に語学留学のため渡米し、マサチューセッツ州にあるハブソン大学のビジネススクールに入学します。この大学で経営学修士(MBA)を取得しました。
豊田章男の経歴
豊田章男さんの主な職歴は以下の通りです。
アメリカでMBAを取得した豊田章男さんは、アメリカの投資銀行「A.G.ベッカー」に勤務します。
1984年に投資銀行を退職し、トヨタ自動車に入社。この当時、父である豊田章一郎さんは「章男を部下に持ちたいと思う人間は今のトヨタにはいない」と戒め、特別扱いはしないと言い渡したそうです。そのため豊田章男さんは履歴書を提出して入社しました。
トヨタ自動車に入社後は生産管理や国内営業を担当。係長から平社員への降格も経験したそうです。販売部門の改革を主導した豊田章男さんは1998年に、自動車関連情報を提供するWebサイト「GAZOO.com」を立ち上げます。
2000年にはトヨタ自動車取締役、2022年常務取締役、2003年専務取締役、2005年副社長と40代でとんとん拍子に昇進し、2009年53歳の若さで社長になりました。豊田一族の社長就任は14年ぶりのことで、就任会見では「『産業報国の実を挙ぐべし』との豊田佐吉の遺訓に立ち返る」と述べています。
社長就任時、トヨタはリーマンショック後の厳しい経営状態で、販売台数は減少し赤字に転落。さらにアメリカでの大規模リコール事件が追い打ちをかけます。危機的状況の中で豊田章男さんが大切にしたのは「いいクルマをつくる」ことです。
車オタクぶりを発揮し、製品開発力の強化に取り組むと、販売台数は順調に復調します。2020年、2021年には2年連続で世界トップの自動車メーカーになり「世界のトヨタ」になったのです。
また豊田章男さんは在任中、自社メディア「トヨタイズム」を立ち上げるなど自己アピールにも力を入れていました。
豊田章男は何代目の社長?
豊田章男さんの現在の役職はトヨタ自動車代表取締役会長ですが、豊田章男さんは何代目の社長だったのでしょうか?まとめてみます。
11代目社長で在籍日数は歴代第2位
豊田章男さんはトヨタ自動車11代目の社長です。2009年6月に就任し、在籍日数は5,052日と歴代社長の中でも第2位を誇る長さになっています。
13年以上も続けており、長い間トヨタ自動車に尽力していたことがよく分かります。
豊田章男の年収がすごすぎる!歴代過去最高額を更新
豊田章男さんが2024年3月期に得た役員報酬は、16億2,200万円でした。前年(2023年)が9億9,900万円だったので62%増となっています。
この役員報酬はトヨタの歴代役員として過去最高額を更新しました。
役員報酬の内訳は以下の通りです。
- 固定報酬:2億8,900万円
- 賞与:3億2,400万円
- 株式報酬:10億900万円
ちなみにトヨタ自動車の役員報酬は、営業利益や株価変動率などを基に社外取締役らが会議で決定するそうです。
豊田章男の伝説とは
豊田章男さんはすごい伝説を数多く持っています。豊田章男さんの伝説をまとめてみました。
テストドライバーとして開発に関わるほどドライビングに精通
豊田章男さんはテストドライバーとして自動車開発に関わるほどドライビングに精通しています。それほどまでの腕前を持つきっかけとなったのが、トヨタ自動車の開発ドライバーであった故・成瀬弘さんとの出会いです。
2002年、アメリカから帰国した豊田章男さんは、テストドライバー・成瀬弘さんから「運転のことも分からない人に、クルマのことをああだこうだと言われたくない」と初対面で言われました。さらに成瀬弘さんは豊田章男さんに向かって「月に一度でもいい、もしその気があるなら、俺が運転を教えるよ」と言い放ったそうです。
成瀬弘さんは専門学校を卒業後、19歳でトヨタ自動車に入社した叩き上げのテストドライバーでした。トヨタグループの開発ドライバー数百名の中で頂点に立つ「マスターテストドライバー」として知られる存在だったのです。
この出会いをきっかけに、豊田章男さんは成瀬弘さんの弟子として厳しいドライビングレッスンを受けます。急ブレーキなどの訓練だけで2年をかけたそうです。また成瀬弘さんにドライビングの指導を受けている間、豊田章男さんはレクサス・LFAの開発にも関わりました。
豊田章男さんは成瀬弘さんから「このトヨタには俺らみたいに命をかけてクルマをつくっている人間がいる。そのことを忘れないでほしい」と言われ、クルマ作りの意識を改めたそうです。
成瀬弘さんは2010年6月に、レクサス・LFAニュルブルクリンク・パッケージをテスト走行中に事故死しました。
「モリゾウ」という名を持つレーシングドライバーの顔
豊田章男さんはレーシングドライバーの顔を持っており、「モリゾウ」というドライバーネームで活躍しています。モリゾウは愛知万博のマスコットキャラクター「モリゾウ」にちなんで付けられました。
豊田章男さんは若い頃から1600GTでスポーツドライビングを楽しんでおり、カーレースへの興味を持っていたそうです。
師匠である成瀬弘さんからドライビングスキルを教わる中で、豊田章男さんは国際C級ライセンスを取得しました。それ以降数多くのレースやラリーに参加しています。
世界一過酷なレース「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」に出走
豊田章男さんは自身が副社長であった2007年に、もっといいクルマづくりのために社員有志で「GAZOO Racing」を作り、世界一過酷なレースと言われるニュルブルクリンク24時間耐久レースに出走しました。
当初はトヨタ自動車の正式なプロジェクトとは認められず、同好会のような組織であった「GAZOO Racing」はトヨタの名前を使うこともできませんでした。
そこで豊田章男さんが当時担当していた事業である「GAZOO」をチーム名として使用します。社内の反応は冷ややかなものばかりで予算もなく、当時すでに生産終了していた中古のアルテッツァ2台をポケットマネーで購入・改造して参戦します。
ドライバー8人中6人はトヨタ社員で、素人同然のチームで挑んだ24時間耐久レースを満身創痍で完走しました。当時参加したメンバーは「完走できたことは奇跡」と語っています。
他のメーカーは発売予定の開発中のスポーツカーを走らせている中で、GAZOO Racingは販売終了になったクルマに乗っているという屈辱を味わったそうです。この悔しさがニュルブルクリンク24時間耐久レースへの挑戦を続けていく原動力になり、クルマづくりへの向き合い方の根幹を形成しました。
2009年に豊田章男さんが社長に就任した後も、GAZOO Racingはチーム名にトヨタの名前を使うことはできませんでした。しかし、徐々に社内で理解されるようになり、年を追うごとに規模が拡大。ニュルブルクリンク24時間耐久レースに初挑戦してから8年目となる2015年に「TOYOTA GAZOO Racing」と名称変更し、トヨタの正式部隊へと昇格しました。
豊田章男さんはモータースポーツを「もっといいクルマづくり」や「クルマファンづくり」の根幹に捉えていて、積極的に発信を続けています。
東日本大震災からの脅威の復興を実現
2011年3月11日に起こった東日本大震災の際には、日本経済界のリーダーとして復旧の先頭に立ちました。
豊田章男さんは「人命第一、地域復興が第二、生産の復旧は第三、この順番だけを頭に入れて、部長や工場長が中心になって判断してほしい」と現場に伝えたそうです。
生産復興に向けた取り組みはスピーディに進み、3月15日には調達本部と生産本部が連携し、現地調査チームを派遣。約200拠点の仕入れ先訪問を開始しました。また3月27日には、豊田章男社長自らが宮城県を訪問し、関係者を激励。続いて、岩手や福島、茨城の各県にも赴きました。
震災4ヶ月後の2011年7月には、東北を中部・九州に次ぐ第3の国内生産拠点にするため、関東自動車・セントラル自動車・トヨタ自動車東北の3社を統合し「トヨタ自動車東日本」の設立を発表しました。
さらに2013年にはトヨタ自動車東日本の企業内訓練校「トヨタ東日本学園」を開校して、モノづくりの中核を担う人材育成が、東北の地でもできるように後押しをしました。
豊田章男さんは、トヨタがこれまで培ってきた「現場力・人間力・技術力」を駆使して、東北に産業をつくり、雇用やサプライチェーンを生みました。地元に納税することで、一過性ではない復興支援を行ってきたのです。
この当時のことを振り返り、「大変つらい時期ではあったが、会社としての一体感や求心力が高まった時期だった」と述べています。
社長就任2ヶ月で発生した大規模リコール問題
豊田章男さんが社長に就任した2009年はリーマンショックの真っ只中で、アメリカの自動車メーカーも相次いで倒産していた年です。トヨタ自動車も赤字にあえいでいたところ、社長就任からわずか2ヶ月で大規模リコール問題が発生してしまいます。
2009年8月、アメリカ・カリフォルニア州で高級車レクサスES350を走行中、急加速によって家族4人の死亡事故が起こります。事故の原因はトヨタ車にあると主張され、アメリカでは大々的に報道されました。この騒動をきっかけにアクセルペダルの不具合トラブルや急加速だけではなく、国内でもブレーキに関する苦情が相次ぎ、トヨタは大規模なリコールを実施します。
トヨタ自動車は厳しい批判を浴びることになり、豊田章男さんはアメリカの公聴会に召喚されます。豊田章男さんは通訳を介して何度も「申し訳ない」と謝罪し、4時間にわたって厳しい質問を投げかけられながらも、怒りをあらわにする場面は一度もなく神妙な表情を崩しませんでした。
この時のことを振り返り「私に社長を辞めさせるつもりかな、あの社長は1年ももたなかったなと喜ぶ人も多いだろうな」と考えたそうです。
しかし豊田章男さんが公聴会を終えると、全米からワシントンDCに集まった販売店や工場の関係者が強く励ましてくれました。その言葉を聞いて感情を抑えきれずに涙を流したそうです。
この経験から、トップとしての役割が明確になったと、豊田章男さんは話しています。「社長は責任を取ることが役割であり、自分が出てくることでトヨタの現在、過去、未来への責任者として世の中が見てくれる。従業員にもトヨタの責任者は今の社長なのだと示すことができる」と述べています。
リコール問題をきっかけに、説明をしないで分かってもらうという姿勢は良くないと考えるようになり、自らが最前線に立って説明することを心がけるように変化したそうです。逆境をも乗り越え、さらに進化していく豊田章男さんはトヨタ自動車の危機を救った救世主と言えるでしょう。
豊田章男の家系図!妻と息子はだれ?
トヨタ自動車の創業家である豊田家の家系図は以下の通りです。
家系図を見ると分かる通り、トヨタ自動車のこれまでの社長12名のうち、半分の六代が創業家の出身です。
豊田章男の妻とは?
豊田章男さんの妻は、豊田裕子さん(旧姓・田淵裕子)です。豊田裕子さんは三井物産の元副社長を務めた田淵博正さんの長女として生まれました。三井物産は日本五大商社の一つであり、その元副社長の娘ということもあり、家柄がよいことが分かります。
豊田章男さんと田淵裕子さんの馴れ初めは不明ですが、1985年に結婚されています。その3年後に息子の豊田大輔さんが生まれました。豊田裕子さんが公の場に現れることはほとんどありません。
豊田章男の息子とは?
豊田章男さんには1人息子がいます。名前は豊田大輔さんで1988年4月5日生まれ、出身地は愛知県名古屋市です。慶應義塾大学経済学部を卒業後、バブソン大学大学院経営学修士を取得しています。
豊田大輔さんはトヨタ自動車が力を入れている「ウーブン・アルファ」と言う会社の代表取締役です。ウーブン・アルファは自動運転技術の実用化に向けたソフトウェアを提供するために、 トヨタ自動車とデンソー、アイシンの共同出資により2018年に設立された会社です。
トヨタ自動車の子会社であるウーブン・アルファは、ウーブン・プラネット・グループの一部です。ウーブン・プラネット・グループは2018年に設立されたトヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント株式会社(TRI-AD)の事業拡大・発展を目的に2021年に設立されました。
トヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント株式会社(TRI-AD)は元々、自動運転技術の先行開発分野における共同技術開発を目的に、トヨタ自動車・デンソー・アイシンの共同出資によって設立された会社です。
つまり3社共同で作られたトヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント株式会社(TRI-AD)は、現在はウーブン・プラネット・グループとして、その下の事業会社としてウーブン・コア、ウーブン・アルファ、ウーブン・キャピタルが存在します。
豊田大輔さんが代表取締役を務めるウーブン・アルファは自動運転技術、ロボティクス、スマートシティなどの分野で活躍しています。CMでもおなじみのスマートシティ「ウーブン・シティ」はウーブン・アルファが手掛けたものです。
豊田章男のXが話題!ホンダとの関係性
2023年9月、トヨタ自動車は豊田章男さんがホンダ車を運転する動画をX(旧Twitter)に投稿し、インターネット上で話題を集めました。
この動画では豊田章男さんが砂利道を走行中に「これなんの車ですか?」と問いかけられ、「ホンダです」と親指を立てて満面の笑みで答えるというものです。運転していた車はホンダのSUV「ヴェゼル」で、ホンダのスローガンである「The Power of Dramas」のテロップで動画は締めくくられています。
この投稿には「#CMにつかっていいよ」のハッシュタグも添えられており、ホンダの公式アカウントが「えっ!!??!?!?!!?会長?!」と応じるやりとりもありました。ユーモラスたっぷりの投稿からも、豊田章男さんの人柄の良さや、車が大好きな想いが伝わってきます。「ホンダです!!」の投稿は1,400万回表示を突破し、投稿に反応したホンダの公式SNSも530万回表示を超えました。
また、この投稿には「#トヨタ自動車会長」や「#自動車工業会会長」などのハッシュタグも追加されていて、ホンダ車に乗っていることからも自動車工業会会長としての投稿という意味もあるのではと言われています。
豊田章男さんは自動車工業会会長として常々550万人の自動車業界に携わる仲間たちを意識しており、多くの人がその想いに共感しています。
豊田章男の愛車はポルシェ
豊田章男さんは大の車好きとして知られています。2024年1月に開催されたカスタムカーの祭典「東京オートサロン2024」では、豊田章男さんの愛車が6台展示されました。
展示された愛車は以下の通りです。
- トヨタ:センチュリーGRMN
- トヨタ:GRカローラ
- トヨタ:Q GRMNスーパーチャージャー
- トヨタ:レクサス・LBX
- ヤマハ:ビーノ
- スズキ:ジムニー
トヨタの最高級乗用車をはじめ、価格やボディサイズを問わず珠玉の名車が並べられました。
豊田章男さんはトヨタ以外の他メーカーの車種も気に入った自動車は所有すると公言しており、ヤマハやスズキの愛車も展示しています。メーカーの垣根を超えて車を愛することが重要と考える豊田章男さんの想いが伝わってきます。
ポルシェにも乗っていた
豊田章男さんは2017年に行われた、ポルシェ監査役会会長のウォルフガング・ポルシェとの対談で、トヨタ入社前ニューヨークに住んでいた1980年代頃に、ポルシェ・911を愛車にしていたことを明かしています。
その当時、豊田章男さんはトヨタのセリカに乗っていたものの、その車が盗まれてしまうのです。そのセリカを探して、色々なガレージを見て回っていたそう。その時、あるガレージで「僕の車を買わないか?」と言われてポルシェ911を中古で購入。ナロー・ポルシェ(901型)で1973年型を6,000ドルで購入したそうです。
また、東京モーターフェス2018の「豊田章男×マツコ・デラックスのスペシャルトークショー」にソフトバンク孫正義代表がゲスト出演した公開トークショーでは、欲しい車を聞かれた豊田章男さんは「ポルシェ」と答えています。
ニューヨーク時代にポルシェを運転したものの、上手く運転できなかった豊田章男さんはテストドライバーで師匠でもある故・成瀬弘氏に「お前、ポルシェに馬鹿にされているんだぞ」という風に言われたそうです。それは運転の仕方も知らない人が、ポルシェのような車を急に乗りこなそうなんて考えるのがおかしいという意味でした。
運転技術のある今だからこそ、再びポルシェに乗りたいと考えた豊田章男さんの気持ちが伝わってきます。
まとめ
本記事では豊田章男さんについてまとめました。
豊田章男さんはトヨタ自動車11代目社長で、2023年からは同社会長に就任しています。
豊田章男さんが社長に就任した当初、トヨタ自動車は赤字に転落しており経営的な危機に陥っていました。しかし「もっといいクルマを作ろう」という想いで、創業時の原点に戻ることで社員のマインドチェンジを行います。
他メーカーより豊富なスポーツモデルを揃えることで、「トヨタは面白い」「トヨタのクルマは欲しいものばかり」とクルマ好きからも評価されるようになりました。
コロナ禍や資材や物流費の高騰など厳しい環境が続いている中でも、業績を上げ続けているのは豊田章男さんの求心力があったからでしょう。
1984年4月:トヨタ自動車株式会社入社
1998年4月:ニューユナイテッドモーターマニュファクチャリング株式会社出向
2000年1月:トヨタ自動車株式会社Gazoo事業部主査
2000年6月:同社 取締役
2001年6月:同社 アジア本部本部長
2002年6月:同社 常務取締役
2003年6月:同社 専務取締役
2005年1月:同社 豪亜中近東本部本部長
2005年1月:同社 中国本部本部長
2005年6月:同社 取締役副社長
2005年6月:同社 情報事業本部本部長
2009年6月:同社 取締役社長
2023年4月:同社 取締役会長(現在に至る)