三部敏宏さんは本田技研工業株式会社の取締役 代表執行役社長です。
本田技研工業とは「HONNDA」としてオートバイやバイクの二輪車や自動車、汎用機器などを中心に販売を行っている他に小型ジェット機などの開発・販売を行う世界的に有名な日本企業です。
三部敏宏さんは本田技研工業の次期エース(社長)として常に注目されていた人物でもあります。今回はそんな三部敏宏さんの経歴や実績、家族構成、そして本田技研工業についてご紹介します。
目次
三部敏宏とは
三部敏宏さんは2021年4月より本田技研工業株式会社の取締役代表執行役社長に就任されました。
本田技研工業に入社した時はエンジニアとして自動車エンジンを軸とした様々な研究開発を行ってきた人物です。
本田技研工業というと自動車の人気も高いのですが、現在、自動車業界は「100年に1度といわれる自動車変革の時代」と言われているほどに環境問題や事故が起きないシステム等、自動車の在り方が大きく変わろうとしている時代です。
そんな自動車変革期に社長へと就任した三部さんは“自分自身、激動の時代に向いているタイプだと自負している。プレッシャーにも強い。この時代にホンダをリードすることにやりがいを感じている。”とインタビューで答えるほどやる気に満ち溢れた新社長といえます。
三部敏宏のプロフィール
- 本名:三部敏宏(みべ としひろ)
- 出身:大阪府豊中市
- 生年月日:1961年7月1日
- 年齢:60歳(2021年10月時点)
- 学歴:広島大学工学部第一類/広島大学大学院工学研究科
- 趣味:不明
- SNS :無
三部敏宏の経歴
三部敏宏さんは大阪府豊中市出身ですが、父親の転勤のため中学生の時には広島市で過ごしています。
1980年に広島市立基町高等学校を卒業後、広島大学工学部第一類に入学し大学院にて移動現象工学を専攻した後に卒業します。
1987年に本田技研工業株式会社に就職し、自動車エンジンを中心とした様々な研究開発を行ってきましたが、2005年頃にエンジン関連部門のマネージメントへとシフトを変えています。
2012年には本田技研工業のグループ会社となる本田技研研究所の常務執行役員に昇格、2014年に本田技研工業の役員にも就任します。
2019年に本田技研研究所の代表取締役社長へと就任し、2021年に本田技研工業代表取締役社長兼CEOとして現在に至ります。
三部敏宏の推定年収・資産
三部敏宏さんの推定年収は1億5,500万円と予想されています。
これは、前社長である八郷隆弘さんの社長就任時の年収が上記金額だったためです。
三部敏宏さんは、本田技研工業の社長となる前に本田技研研究所の社長も務めていました。そのため資産も億は超えているのではないかと予想できます。
三部敏宏の家族・結婚情報
三部敏宏さんの家族について公表していません。しかし、以前インタビューにて少し子供についての話にも触れていたことがありました。
三部敏宏さんには息子さんが1人いるようです。息子さん以外にも子供がいるのかは不明ですが、ご結婚されていることは間違いないと思われます。
三部敏宏の実績・偉業
三部敏宏さんは元々エンジニア出身です。
エンジン関連部門のマネージメントや研究開発などを行ってきた三部敏宏さんの実績や偉業は以下の通りとなります。
エンジン開発のプロ
三部敏宏さんは入社当時からエンジンの開発に携わってきた方です。
その中でも最も偉業といえるエンジン開発は北米カルフォルニア州の排出ガス規制に対応した「SU-LEV」と言われています。
このエンジンに変えることで、今まで使用していた「LEV(ローエミッションビークル)に対してガス排出量は13%まで抑えることに成功したのです。
また、排出ガスで汚染されている場所を「SU-LEV」のエンジンが搭載された車が走ることで新たに吐き出す排出ガスの方がキレイになるため走る空気洗浄機とも言われていたそうです
そんなすごい製品開発の指揮をとったのが三部敏宏さんで、まさにエンジン開発のプロとして注目をあびることとなりました。
環境対応のエキスパート
環境技術とは、大気汚染など人為的に引き起こされる環境への影響が問題となった時に、その問題を回避・低減・管理するための技術の事を指します。
長年、エンジニアとして勤務しエンジンに関するマネージメントも行ってきた三部さんは環境技術にとても精通していて、「環境対応のエキスパート」と呼ばれているのだそうです。
次世代エネルギーとして注目されている水素についても詳しく勉強・研究されていたようで、現在Hondaでは水道水から水素を創りだす「スマート水素ステーション」の開発に成功した他に、水素を電気に変えて車を走らせる技術研究も日々行っています。
三部敏宏さん率いる本田技研工業が目指すのは必要な時に必要な分の電気が作れる地産地消エネルギー社会だとも話されています。
小型ロケット開発
1986年から開発をスタートし2015年より小型ジェット機の販売に成功した本田技研工業が次に目指すのは小型ロケット機の開発だと三部敏宏さんは記者会見にて発表しています。
同じ自動車メーカーではアメリカの「テスラ」がロケット開発を進めています。
ホンダも研究自体は数年前から始めているらしく、今回の発表は目指すべきロケット像が定まったため、発表したのではないかと考えられています。
三部敏宏さんは“衛星などを積める小柄のホンダロケットの開発を進めていく”と語っています。
米GMとの資本・業務提携を主導
2021年1月にHondaと米ゼネラルモーターズ(通称:GM)が資本・業務提携を行う事が発表されました。
この提携の商談を主導していたのが三部敏宏さんだそうです。
本田技研工業株式会社とゼネラルモーターズはGMの新型バッテリー「アルティウム」を採用し、ホンダ向け次世代電気自動車(EV)の共同開発を行うことも発表しています。
将来的には本田・ゼネラルモーターズ・GMの子会社であるクルーズの3社で自動運転モビリティサービス事業専用車両の「クルーズ・オリジン」を活用した事業展開を目指しているそうです。
尚、この事業の運営は2020年2月に新設された「ホンダモビリティソリュウーションズ」が中心となり協議拡大を行っていくとのことです。
三部敏宏の現在
三部敏宏さんは2023年8月現在も本田技研工業の社長を務めています。
ホンダは現在、インターネット関連のサービスや製品を提供している米Googleと北米で発売されるホンダ新型車にGoogleの車載向けコネクテッドサービスを搭載することを発表しました。サービス提供の次期は2022年後半を見込んでいるようです。
三部さんの発表では既に実装予定の「音声アシスタント」「ナビゲーション」「車載用アプリケーション」が紹介されていて、Googleサービスを搭載することで運転中でも目的地の到着時刻だけでなく、店舗の営業時間なども確認することが可能となります。
本田技研工業株式会社とは
本田技研工業株式会社は通称「HONDA(ホンダ)」として、車やオートバイをはじめとした幅広い機器メーカーを製造開発している企業です。
新車販売台数は世界ランキング8位(2020年時点)となっていて、オートバイ・バイクにおいては世界ランキング1位となります。
「HONDA」の由来は創業者である本田宗一郎さんの苗字から名付けられ、自動車やバイクには頭文字の「H」を用い、発電機や耕耘機等の汎用製品には「HONDA」のロゴを使用しています。
1947年に1PSのバイクから始まった本田技研工業株式会社は今ではジェット機も造り上げるまでになりました。本田技研工業もマークにも記されている「The Power of Dreams(夢がくれる力」はホンダの永遠テーマとして掲げています。
本田技研工業株式会社の歴史
本田技研工業株式会社が設立されたのは1948年です。
当時は従業員34名、資本金100万円で静岡県浜松市に小さな町工場としてスタートしました
その以前となる1946年に創業者である本田宗一郎さんは「本田技術研究所」を立ち上げていて、ホンダのはじまりとなるバイクは本田技術研究所時代に登場しています。
1953年に汎用事業を開始し、農機用エンジンや耕耘機の発売を始めます。
そしてその翌年となる1954年には二輪最高峰とされるレース「マン島TTレース」への出場宣言をし、モータースポーツのバイク開発に勤しみ5年後である1959年に初出場を果たしました。
1958年には今も人気を博しているスーパーカブの販売を開始します。
1963年に自動車製造にも進出を果たし軽トラックに続き、スポーツカーの販売も行います。
1986年には小型航空機とそのエンジン研究を開始し、2015年には「Honda Jet」としてデリバリーが開始されました。
2000年、ホンダ初のヒューマノイドロボット「ASIMO」が発表されています。
2016年以降には四輪車の世界生産累計1億台達成、スーパーカブシリーズ世界生産累計1億台達成、二輪のロードレース史上初WGP800勝など数々の偉業を成し遂げ、2021年にはホンダ自動車の主力商品ともなっているN-BOXシリーズが国内新車販売台数4年連続1位にもなっています。
本田技研工業株式会社のサービス・事業内容
本田技研工業では様々な機器製造を行い、人々の暮らしを支えています。
そんなホンダが行っている事業は以下の通りです。
二輪事業(オートバイ・バイク)
本田技研工業の原点でもある二輪事業は現在、累計4億台以上の二輪車を製造販売しています。
世界販売台数1位を誇るホンダの二輪車は世界的に関心が高まっている環境問題に応じた策として、近年は電動二輪車にも力を注ぎ、「ベンリィe:」や「ジャイロe:」「ジャイロキャノピー」などの販売も開始し人気を呼んでいます。
四輪事業(自動車)
ホンダの四輪事業は全世界販売台数500万台を突破しています。
1963年に本田技研工業で開発が始まった自動車事業のきっかけは創業者の「四輪の地図を塗り替えようじゃないか」という一言だったそうです。
四輪事業でも環境問題に沿った電気自動車「Honda e」商品を販売している他、安全運転支援システム「Honda SENSING」を導入し今も尚、その性能向上に向けて技術研究に取り組んでいます。
自動車製品はスポーツタイプからファミリー向けタイプ、業者向けタイプなど、幅広い客層に合った車製造を行っています。
ライフクリエーション事業
耕耘機、発電機、除雪機、芝刈り機、ポンプ、船外機など数多くの商品を提供している事業です。
本田技研工業ではこういった実用・汎用機を「パワープロダクツ製品」とも呼んでいて、次世代に向けて、より便利な機器開発を行っています。
今、事業として目指しているのは「移動」と「暮らし」に新価値を提供する機能を進化させることだそうです。
事業創造
航空機および、航空機エンジンの開発を行う事業です。
1986年からのテーマであり、ホンダの夢であった航空機エンジンの開発を2003年に100%自社設計の高効率ターボファンエンジンを使用して初飛行に成功しました。
2015年には量産型エンジンを搭載した「Honda Jet」の販売を開始し、2018年にはより性能を上げた「HondaJet Elite」の販売も開始し世界的に注目の製品となっています。
2017年以降は4年連続で小型ジェット機カテゴリーのデリバリー数1位にもなっています。
モータースポーツ
ホンダではモータースポーツの製造を行っています。
60年以上の歴史をもつモータースポーツ事業はさまざまなレースで活躍を遂げています。
また、ホンダのレーシングマシンのファンに向けて「ツインリンクもてぎ」にはホンダコレクションホールという施設には数多くの歴代レーシングマシンが展示されているそうです。
ロボティクス事業
二足歩行ロボット「ASIMO」や歩行アシスト機などを研究開発・製造販売している事業部です。
「ASIMO」も年々、機能性をアップしていて、人々の生活に寄り添うロボットを提供するために本田技研工業では移動・掴む・伝えるなど、さまざまな人の動きや思考について研究しロボット開発に役立てています。
本田技研工業株式会社の業績・売上高
本田技研工業の2020年度連結業績は売上が13兆1,705億円、営業利益が6,602億円でした。売上高は前年比より11.8%の減収となりましたが、営業利益は4.2%の増益となっています。
ホンダはこの結果について、“新型コロナウィルス感染症の影響にて需要の減少はあったが、事業活動の見直し、販売費や一般管理費の抑制等のコストダウン効果、金融事業によるクレジット損失引当金の計上差などにより営業利益は上回ることができた”と発表しています。
2021年も営業利益に関しては6,600億円をキープすることを目標としているようです。
本田技研工業株式会社の特徴・強み
本田技研工業は常に夢を追いかけている会社です。そして、その夢を何年もかけて実現させています。
これは創業者である本田宗一郎さんは常に夢を実現に変えてきた人物であり「これができたらみんな喜ぶだろうなぁ」と人々を喜ばせることに力を注いでいた人物であることが現在のホンダにも受け継がれているように感じます。
本田技研工業のテーマでもある“The Power of Dreams”の気持ちが会社全体に受け継がれていることがホンダの強みとなっているのではないでしょうか。
本田技研工業株式会社の評判
ホンダ製品に関する評判は累計販売台数などを見る限り、人気があることが十分に伺えます。
働く従業員の評判も上々のようで、福利厚生の充実さ、オフィス環境の快適さの満足度はとても高いように感じます。
副業については会社規定により今のところ認められていないそうで、それを不服に思う方もいらっしゃるようですが、リモートワークの推奨や働き方改革の向上によりワークライフバランスがとりやすいと感じている方が多く、大企業の中でも比較的働き方改革が積極的に行われている会社といった印象です。
まとめ
本田技研工業株式会社の社長、三部敏宏さんのご紹介でした。
自動車業界の変革期であり、激動の時代ともいえる今、パワーに満ち溢れている三部敏宏さんが社長となったことはホンダにとっても非常に心強いことが窺えます。
9代目社長となった三部敏宏さんもまた、創業者である本田宗一郎さんのチャレンジ精神をしっかり受け継いでいることでしょう。
社長就任からまだ1年未満となる三部敏宏さんの今後にも注目です!
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。