矢野博丈は100均ダイソー創業者!経歴/評判/息子/現在は引退している?

矢野博丈の経歴プロフィール年収

矢野博丈さんは100円ショップで有名なダイソーを運営する株式会社大創産業の初代社長です。

矢野博丈さんは1977年に大創産業を設立し、2018年に次男の靖二さんと交代するまで、会社のトップとして活躍していました。

ここでは、矢野博丈さんのプロフィールから経歴、実績、大創産業の事業内容までまで詳しくご紹介します。

矢野博丈とは

矢野博丈の書籍
Amazonより

矢野博丈さんは、大創産業の創業者として知られています。
大創産業の知名度が全国規模で広まるきっかけとなったのが、100円ショップ「ダイソー」の成功です。
手頃な価格で身近な商品が手に入る100円ショップ「ダイソー」は、徐々に消費者の心を掴み、店舗数を増やしていきました。
社長就任中に国内外に店舗を構え、日本のグローバル企業としての地位を確立しました。ただ、そこまでの地位に上り詰めるまでにはさまざまな苦労があったと言われています。

矢野博丈のプロフィール

  • 本名:栗原五郎(くりはらごろう)
  • 出身:中国北京市生まれ広島県東広島市福富町(旧広島県賀茂郡福富町久芳)出身
  • 生年月日:1943年4月19日
  • 学歴:中央大学理工学部二部土木工学科卒業
  • 趣味:特になし
  • SNS:SNSなし

矢野博丈の経歴

経歴

中国北京市で8人兄弟の5男として生まれた矢野博丈さんは、戦後父親の故郷である、広島県の東広島市に引き上げました。
地元の中学・高校と通い、中央大学理工学部二部土木工学に入学、1967年、同学部を卒業します。

生まれたときは「栗原五郎」という名前でしたが、学生時代に妻と結婚したことをきっかけに、矢野博丈と名前を変えました。

妻の実家はハマチの養殖を営んでいて、矢野博丈さんは事業を継いだものの、3年後に倒産させてしまいます。
その後、数々の職を転々としましたが、1972年に大創産業の前身となる「矢野商店」を創業したのです。当時は、商品をトラックに乗せて、スーパーやデパートの催し物などで販売するという、移動販売でした。その後、商品を100円で売る商売の道に入り、細々と商品を売り続け、1977年に矢野商店を「大創産業」と法人化しました。その頃、移動販売から店舗販売に移行しますが、これが大当たりしたのです。

1991年、高松市に「ダイソー」直営店第1号を出店したのを皮切りに、着々と店舗数を全国に増やしていきました。
2018年には、売上高4,548億円(2018年3月期)を計上し、大創産業は、従業員21,000人以上、国内3278店・海外1992店を持つまでに成長します。

次第に体力の限界や時代とのギャップを感じ始めた矢野博丈さんは、2018年に息子に社長の座を譲り、引退しました。

矢野博丈の現在

矢野博丈さんは2018年に社長の座を退いてから、表舞台には出ていません。
ダイヤモンド・オンラインの記事によりますと、引退を決めたのは、体力の限界を感じたことがその理由の一つだそうです。
以前は自ら現場で汗水たらして働いていましたが、次第にそういう機会がなくなり、肉体労働に自信がなくなっていったと言います。

また、矢野博丈さんはインターネットに詳しくなく、コンピュータが当たり前のように使われている現代とのズレも感じていました。

「特に、今、伸びている企業のトップは大体、コンピュータとか最新のテクノロジーに強い。コンビニはその最たる例で、小売業はまさにコンピュータの時代になった。ところが自分には全然、そういう知見も能力もない。その意味で、世代交代は必然。潮時だった」
(引用:https://diamond.jp/articles/-/165863)

引退を考えた当初、社長業を息子たちに継がせるつもりはなかったそうです。
矢野博丈さんには2人の息子さんがいますが、長男は医者としての道をすでに歩んでいました。
次男の靖二さんも、大学卒業後、ダイソーではなくほかの会社で働いていたのです。

ところが、靖二さんは2015年、ダイソーの一般職を希望します。
後継者育成が念頭にあった矢野博丈さんは、息子の入社を許し、自分の代わりが務まると見極めたうえで、社長の交代を決定したということです。

矢野博丈の推定年収・資産

矢野博丈さんが現役時代、どのくらいの年収を得ていたのかは明らかになっていません。

東洋経済オンラインでは、年収1億円以上ある国内の役員リストを発表していますが、そこに矢野博丈さんの名前が出てこなかったことを考慮すると、少なくとも年収は1億円以下ということになります。
2012年の経営者年収ランキングでは1億円と出ているそうなので、そこから年収自体は下がったのではと考えられます。
ただし、役員報酬はもらっているだろうと考えると、資産もかなりの額にのぼるのではないでしょうか。

矢野博丈の家族・結婚情報

先程お伝えしたとおり矢野博丈さんは結婚しており、2人の息子がいます。長男は医師、そして次男は現在、大創産業の社長である矢野靖二さんです。

大創産業とは

100円

矢野博丈さんが創業した株式会社大創産業とは、広島県に本社を構え、ディスカウントストアを運営している企業です。

100円ショップの「ダイソー」の成功により、100均の先駆的存在として認知度を高めました。「世界中の人々の生活をワンプライスで豊かに変える」をステートメントに掲げ、複数の100円ショップ・300円ショップを展開させ、海外市場にも積極的に進出しています。

1977年に創業した大創産業は、100円ショップの先駆的存在として走り続け、確実に業績を伸ばしています。
会社全体の規模も拡大し402人の正社員と22,199人の臨時従業員を抱える会社に成長しました。(2020年2月末時点)

ダイソーは、100円均一ショップとして、人気が定着しましたが、バブルが崩壊した頃から、100円以上の商品も取り扱っています。

また、大創産業はCSR活動にも力を入れているのです。
女子駅伝部を創設したほか、「天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会」のメインスポンサーと、「パラリンアート」のオフィシャルパートナーでもあります。また、「DASISO財団(返済義務のない給付型奨学金制度)」を設立し、大学生を対象に経済支援をしています。

大創産業のサービス・事業内容

大創産業は、商品の開発から流通、販売まですべてを一本化しています。この、製造から販売まで自社で管理するモデルは、「SPA事業」のことです。
大創産業のホームページによりますと、店舗で販売している商品の約90%が、自社ブランドということです。
自社一括管理は、低コスト化効果を会社にもたらしました。

ダイソーには、代理店も含めて国内には2,400以上の店舗があります。
客との直接やり取りできる現場が多くあることで、客の意見や要望を聞き、それをもとに、スピーディーに改善できるという利点もあるのです。

国内にとどまらず、海外にも店舗を展開しているダイソーですが、ここでもSPA事業のビジネスモデルがメリットになっています。海外で新たな市場に参入する際、現地で新たなリソースを確保するといったことが、最低限に抑えられるからです。また、日本と海外の輸出入もスムーズに行えるなど、グローバル企業にとって、物流面でも有利に働いています。

大創産業が誕生した当時の100円ショップは、質よりも安さを重視する傾向がありました。お客さんもそれを承知していましたが、創業者の矢野博丈さんはそれを良しとせず、競合よりも質の高いものを取り扱い、100円にほぼ近い原価のものを売り始めました。
商品の中には、原価割れするものもありましたが、できる限りの商品構成で売り出していった結果、ほかの100円ショップよりも、質が良いとの評判が徐々に出るようになっていきます。
また、客が商品を持ち込み、苦情を入れられるような環境を店舗に持ち込んだことも、信用につながりました。

100円ショップというと、販売している商品は、生活雑貨や文具が主流でしたが、大創産業では分野を広げ、現在では食品や電気機器、インテリア用品、化粧品など、さまざまな商品が棚に並んでいます。
自社で開発した商品には、「製造元:大創産業」と印があります。

幅広い分野の商品を販売するという事業展開と同時に、面積1,000坪以上を超える、大型のダイソーも登場しました。
大創産業の事業は、「DAISO事業」と、「300円SHOP事業」に大きく分けられます。
前者は100円ショップ事業のことで、後者は300円ショップ事業です。

DAISO事業では、国内に3,493店舗、海外は東南アジアをはじめ、オセアニアや北アメリカなど26カ国に進出し、2,248店舗になりました。(2020年2月末現在)
300円SHOP事業で、大創産業が展開しているブランドは、「THREEPPY」「Plus Heart」「CouCou」です。

矢野博丈の実績・偉業

矢野博丈の偉業

矢野博丈さんは、自分自身のことを働くこと以外才能がないと、よくインタビューで語っています。しかし、社長を退くまでに、100円ショップを日本を代表するグローバル企業に成長させた功績は、彼の非凡さを物語っていると言えるでしょう。

会社を立ち上げてから引退するまで、矢野博丈さんはどのように活躍してきたのでしょうか。
主な実績や偉業についてご紹介します。

質の向上

矢野博丈さんが移動販売を始めた頃、すでに100円で商品を売るという小売形態はありました。しかし、当時の商品は「安かろう悪かろう」で、消費者も「安いから仕方ない」というように、納得していたフシがありました。
「安物買いの銭失い」と、消費者の言葉を聞いた矢野さんは、危機感を持ち、質の良い商品を売ろうと決意したと言います。
その決意は並々ならぬものがあり、たとえば98円の原価の商品を100円で売るなど、儲けを度外視して販売していました。時には100円以上の値で仕入れたものを、100円で販売することもありました。

このように、良いものを粘り強く販売したことが、消費者の信用を得るきっかけとなったのです。
矢野博丈さんが売る100円の商品は質が良いとなり、その評判は全国的に広まりました。
ダイソーは現在、さまざまな商品を、手頃な価格で販売していますが、その礎を築いたのが、矢野博丈さんの決断だったと言えます。

店舗の全国展開

バブル崩壊後、日本経済は一気に冷え込みましたが、矢野博丈さんは逆にそれをチャンスと捉え、販売促進に力を入れていきます。
矢野博丈さんがそう確信した背景には、消費者は高級志向から安い商品に目を向けるという「読み」がありました。
矢野博丈さんは、販売する商品のジャンルを広げ、さまざまな商品が店頭に並ぶようになりました。これが消費者のニーズとマッチしたのです。

不況にもかかわらず、ダイソーは業績を伸ばし、店舗数も増えていきました。
こうして、100円均一ショップは、全国規模で浸透し、ダイソーはその先駆的存在として認められるようになったのです。

脱・100円ショップ

矢野博丈さんは、バブルが崩壊した頃から100円ショップから抜け出すことを考えていたと言います。
初めは、100円で販売している商品に、プラスアルファの付加価値を付けて100円以上の値で販売しました。消費者の拒絶反応が懸念されたものの、消費者に受け入れられ、現在もそのスタイルは続いています。
大創産業は、100円ショップ事業のほかに、300円ショップ事業にも取り組んでいますが、矢野博丈さんの決断で脱・100円ショップは円滑に移行したと考えて良いでしょう。

2020年2月末現在、ダイソーは国内外合わせて5,741店舗あります。
300円ショップは、132店舗です。
小さな100円ショップがここまで成長できたのは、やはり矢野博丈さんの、各節目での英断の賜物と言えるでしょう。

大創産業の特徴・強み

大創産業の強みといえば、100円ショップ産業の中で常に新たな挑戦を続けてきたことではないでしょうか。
100円というと、誰でも安かろう悪かろうと思っていた時代、あえて原価ギリギリの価格で販売し、「100円でも質が良い」ということを実証しました。

また、商品開発にも積極的で、月に開発する新たな商品は、800種類にも及ぶと言います。こうした発想力や開発力も、ほかの競合を凌ぐ強みになっているでしょう。

100円ショップをグローバールチェーンに展開させるというビジネスモデルも、業界では珍しいのではないでしょうか。良いものを手頃な価格で提供するというのは、日本だけに限らず、世界共通であることを証明したのが、大創産業です。
これまでにないことを現実化してしまう手腕は、唯一無二の存在と言っても過言ではありません。

大創産業の業績・売上高

大創産業の資本金は27億円で、2020年3月末現在の売上高は、5,015億円です。
長年の業績が認められ、1994年には(社)ニュービジネス協議会による、ニュービジネス大賞「優秀賞」を、1997年には通産大臣賞による「貿易貢献企業賞」を受賞しました。
大創産業の業界売上シェアは、50%を超えています。

大創産業のビジネスモデルは、高く評価され、日経MJが実施した「23万人が選ぶストア戦略調査」では、5年連続第2位という結果を残しています。(参考:https://job.mynavi.jp/23/pc/search/corp65162/outline.html)

大創産業の評判・口コミ

評価

100円ショップのダイソーを使っている人の評判を見ると、豊富な品揃えで、値段が手頃、つい、いろいろ見てしまうなど、好印象を持つ人が多いようです。
ただ、中には従業員の態度があまり良くない、100円ショップだから仕方がないけど品質があまり良くないという意見も見受けられました。

また、大創産業で働いている人の口コミを見ると、いろいろな意見が出てきました。
福利厚生など、正社員には最低限の保障があり、住宅手当が厚い、休憩時間は自由に取れるという声もありました。
リモートワークができないなどの改善点はありますが、働きやすいと感じている人は比較的多いというのが、全体的な評価の印象です。
中には連休が年末年始と夏季休業以外は少ないという意見もありました。

まとめ

大創産業の創業者である、矢野博丈さんについてご紹介しました。
矢野博丈さんは、100円ショップ事業をグローバルに展開させることを実証した稀な存在と言えます。
インタビューなどで本人は謙遜していますが、一つの会社をここまで大きく成功させたのですから、鋭いビジネスセンスの持ち主であることがわかります。

そして大創産業は、これからも日本企業のビジネスモデルとして、活躍し続けるでしょう。

ここまで読んでくださりありがとうございます。